2017年10月11日水曜日
「フェルマーの最終定理」 サイモン・シン著
とっても久しぶりの投稿だが、マウスキーにはよくある事だ。
何せ飽きやすい。
言い訳はさておき、早速本の感想を言わせていただきたい。
今回の「フェルマーの最終定理」も、何となく察知がついているであろうが、姉マウスキーの一押しである。
一度は父マウスキーに薦めては振られてしまったという敗北を味わいつつ、マウスキーにも薦め続け、もう数年も経ってしまった。
薦められたこの一冊を読もうと思った流れも、そのためスムーズであった。
この前に「暗号解読」を読んだのだが、それを読むと「フェルマーの最終定理」を読みたくなるように二つの作品はリンクしているところがあったからだ。
マウスキーがとうとう「フェルマーの最終定理」を手に取った時、長年の苦労が報われ、姉マウスキーの勝利が確定したのである。
この本の素晴らしいところは、凄く難しい内容で100%理解出来ていない人間の頭でも、大筋が理解できた挙句に、自分は頭がいいんだ、そう思わせてくれる文章である。
ざっくりとした本の内容は、フェルマーさんが残した定理を、解読するために人生を費やしてきた人たちの物語である。
フェルマーさんは、「解けるけど、紙が足らんかったけ、白紙にしといたわ」とだけ残していたため、大勢を長い歴史の中右往左往とさせるのだ。
この本の中に、哲学者のデカルトも登場するのだが、元々デカルトが好きではなかったのだが、本の中でもやはりよだきぃ(人間として終わり、どうしようもない奴の意)存在であり、ますますと嫌いになってしまった。
さて、そんな面白いヒューマンドキュメンタリーを交えつつの数学の解説など、面白さがN〇Kや、B〇Cどころではない!
サイモン・シンのマジックは、とどまるところを知らず、全く数学の事が理解出来ないでも、その数学について面白いと感じたり、フェルマーの最終定理がどう解かれていくのか、純粋な数学に対しての探求心をも感じさせてくれるものだった。
「頭が良すぎてごめんなさい」という気持ちを味わいたい人には、ぜひお薦めの一冊である。
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