2017年3月18日土曜日

「路傍の石」 山本 有三・作



これを読破するのに、かなり時間がかかった。

それというのも、前半で読む事を挫折して本棚に封印をするのだが、やはり頑張って読んでみようと思って取り出して読み、やっぱり前半で挫折する。

結局、そんな事を数年間繰り返し、いい加減に心を無にして読んだという、思い出深い本である。

話は、主人公の吾一が、子供時代にとても苦労をする話だ。

奉公に出たりなどもするが、最後は1人前の大人になるという、そんな感じだ。

何というか、「ザ・日本の心」という感じだった。

つまり、「おしん」とか、ああいう子供の頃から苦労して、いじめられて、ひたむきに頑張っていく、それ系だ。

それにしても、何故この本の前半で挫折していたかという事を説明しよう。

前半、主人公の吾一の父親が、とても高価なダリアという球根を手に入れて来て、縁側の下に置いておくシーンがある。
そのダリアの球根を見つけた吾一は、何を考えたのか、何かの食べ物だと思って食べてしまうのである。

それを知った父親は、物凄く怒り狂う。

結局、母親が必死に吾一を庇ったため、吾一はとりあえず許される。

もう既にその時点で、「なんで食べちゃうかな・・・」と、切ない気持ちになり、結構辛いのだが、まだまだ吾一の失敗談は続く。

貧乏が故に、母親は封筒作りの内職をしており、吾一が母親の事を想って、封筒作りを手伝うと名乗り出るシーンがある。

ところが、吾一は全てを間違えた手順で封筒を作ってしまった為、母親は無言で吾一が作った封筒を全部剥がして作り直すのである。

吾一は泣きながら、自分が作り直すと母に言うのだが、母は無言で作り直すのだ。

見ていて、本当に辛いです。勘弁してください。

まぁ、とてもリアルだとは思うけれど、物凄く前半で猛烈な眠気が襲ってくるほどのストレスを感じさせてくれる。

リアルすぎるが故に、読み手は吾一と共に数々のくだらない失敗や、人々の小心で嫌味な態度などを耐えながら読み進めなければならないのである。

やはり、苦労話というものは、笑える要素が詰まっている方がいい。

苦労を辛く書いたものや、苦労を辛そうに話すのを聞くのは、未消化なものを一緒に味わった気がして、お腹の調子も悪くなりそうな気持になるのだ。

もちろん、どう感じるかは読み手によっては十人十色だろう。

しかし、この本は貴重な経験だった。

まるで、マラソンを必死で立ち止まらずに完走する事が出来た時のような達成感を読書をで感じさせてもらったのだ。

読み終えた時は、達成感と共に昼寝をしました。

感想をまとめて言えば、苦痛という感動を与えてくれた本である。

0 件のコメント:

コメントを投稿

人気の投稿