これも、例の「本を買ってあげるよ」と言い、本を買ってくれた従兄が選んだ一冊である。
そして、やはり買ってもらったのは姉マウスキーである。
坊ちゃんを読破し、調子に乗ったマウスキーが、「夏目漱石なら読めるのではないか。猫が出てくるし」という理由で読み始めた本だ。
まぁ、猫が出てくるというどころか、猫が語っているのがこの本である。
やはり、「坊ちゃん」と変わらず、とても読みやすかった。
それなりの分厚さはあったが、猫の語り口が面白いし、小学生のマウスキーでもサクサクと読む事が出来た。
ストーリーというストーリーはなかったと思う、確か。
猫の飼い主のおじさんが、奥さんがハゲているのを、しつこい程に気にしているシーンとかは、特に大好きだった。
多分、子供だったから、基本的に「ハゲ」という言葉に反応して大喜びで読んだのだろう。
それにしても、99%読破した時、マウスキーは「吾輩は猫である」は面白いし、好きな本の一冊だ、と思っていた。
そう、最後に1%を読み終えた時、この感想は180度変わった。
今も再読はしていない。
擬人化した動物と言えど、「吾輩」の最期があまりにも衝撃的だったため、好きな本とは言えなくなってしまった。
それまで、楽しくやってきたじゃないか・・・わざわざ吾輩がそんな目に遭わなくてもいいのに・・・
そんなわけで、小学生のマウスキーには、ちょっとスパイスが効きすぎた小説だった。
動物が死んでも、メンタルが傷つかなければ、子供でも楽しく読めるし、とてもおすすめの一冊だとは思う。
でも、やっぱり擬人化していても動物は動物、再読も最後が分かっているから絶対に無理である。
そんな拒否反応が未だに起こる小説が、「吾輩は猫である」である。
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