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2017年3月27日月曜日

「カンタベリー物語(上)」 チョーサー・作




再び、上巻限定の読破であるが、実は中巻も途中までは読んだのだ。

こんな中途半端な読み方をした、「カンタベリー物語」は、今も少し無念に感じるところがあるので、もしかすると、最後まで読むかもしれない。

物語のあらすじは、カンタベリーに行くまでの道中、馬車で乗り合わせた人たちが、「色んな物語を1人ずつ話をしよう」と言い出し、それぞれが色んな物語を語る、という話である。

上巻は、なかなか面白い話が多かった。

詳しい事は覚えてはいないが、割と下ネタ話も多かったと思うのだが、何かの一文に受けてにやにやしたりする事もあったし、「サイテーだなこいつ」と思いながら読む話もあった。

ところが、中巻になってからは、ガラリと趣きを変えてくるのだ。

誰だかが、聖人がどうとか、心清らかな誰それが祈ってどうとか、素晴らしく高尚な物語を長々と語りだすのである。

ご立派すぎる物語を読む事に疲れきった後は、次に落差で下ネタ話でもくれば気力が戻るだろうと思っていたのだが、なんと、高尚な物語第2弾が始まったのだ。

もちろん、語っている人間は交代していたので、違う人物が語っている筈だった。

だが、もう、その人物の違いが分からない・・・と、いうほど似たような高尚な話が続く。

そして、不思議と立派な物語というものほど、長文なのだ。

読んでいれば、読んでいるほどに、睡魔の誘惑に勝てなくなり、本を閉じて居眠りをしてしまった。

そして、そのまま今現在まで読んでいない。

自分の程度の低さを知った物語である。

でも、まだまだ心残りがあるので、もしかすると最後まで読むかもしれない。

ただし、今読んでも高尚な物語のあたりは、死ぬほど退屈する事を覚悟しなければならないだろうが・・・。

2017年3月20日月曜日

「マクベス」 ウィリアム・シェイクスピア・作



前回、「ハムレット」について感想文を書いたので、今回は「マクベス」について書く事にする。

ストーリーは、マクベスが魔女の予言と奥さんに後押しされ、国王を暗殺し、自分が王になるという話だ。
結局、国王になったはいいが、不安でいっぱいのマクベスは、魔女に再々アドバイスを求めたり、邪魔な奴を排除したりと、一応は忙しくはしているのだが、良い政治が出来ない。
結局は、暗殺した国王の息子に復讐される、という感じだ。

シェイクスピアの四大悲劇でも、一番にハラハラドキドキしながら読んだ作品である。

物語の見所は、頼りなく、いちいちと奥さんに叱られていたマクベスが、最後になると、奥さんの後押しがなくても大丈夫なぐらい悪役として大成していくところだ。

ちなみに、感激するほどにマウスキーが抱いたマクベスが映像化してあった映画がある。
それは、ポランスキー監督の「マクベス」だ。

こちらである。

他にも色々あるだろうが、俄然、ポランスキー監督の「マクベス」にマウスキーは投票する。

どうやら、好きな本を読んだりすると、映像化してある映画を観たり、舞台を観たり、音楽を聴きたくなるらしい。

ちなみに、ヴェルディの歌劇「マクベス」も、かなりシェイクスピアしている。

ポランスキー監督とヴェルディ以上に、マクベスを表現できる人はいない、今までそう信じてきた。

しかし、最近は、宮藤官九郎の「メタルマクベス」という存在が、物凄く気になっている。
You tubeでチラッと見てみたのだが、これもかなり「マクベス」だったのだ。

やはり、マクベスの物語自体が、陰謀、野心、予言、復讐、様々なドラマを盛り込んでいるため、作品にしやすいのかもしれない。

四大悲劇の中では、一番にエンターテイメントに溢れた話だと思う。

2017年2月26日日曜日

「嵐が丘」 エミリー・ブロンテ・作



あまりにも有名な小説ですが、ざっくりとストーリーを紹介。

内容は、恋愛がこじれに、こじれた愛憎による復讐物語だ。

金はあるが、好きな女は手に入らず、へなちょこの優男に取られてしまったヒースクリフという男がトラブルを起こしていくのだが、肝心要の好きな女が「嘘だろ」と、いうタイミングで途中で死んでしまう。

そのせいで、今度の復讐のターゲットは子供たちになっていくのだが、ヒースクリフも人の子。

悪党結構とは言えど、歳を取っていくにつれ、燃え尽き現象に陥ってしまうのだ・・・。

ざっくり、そんな感じだ。

内容は女中が一人称で殆ど語っているのだが、語り口がとても面白いので、ついつい読んでしまい、長編である事も忘れるほど読みやすかった。

これが、またよく映像化とかいって映画になっているもので、その都度マウスキーは観ていたのだが・・・この「嵐が丘」をきっかけに、小説の映像化に懐疑的になってしまった。

何故かと言うと、それはヒースクリフの役柄だ。

本編には、髭で顔が覆われている熊男みたいに書かれているのに、驚き吃驚だが、映画で髭がそんなに生えているのは見た事がない。

ローレンス・オリヴィエの「嵐が丘」は、髭などいっさいなく、むしろ爽やか青年という感じだったし、他のを観た時も、申し訳なさ程度に口にチョビ髭があったかなという感じだった。

何で、大胆不敵に髭をもっと生やせなかったかな・・・と、いつも残念になるのだ。

ヒースクリフとキャサリン(ヒースクリフの意中の女)のロマンスとか、そんなの別に観たいわけじゃなくて、ヒースクリフのえげつない復讐の手段を観たいのであって、爽やかな姿なんか観たくないのだ。

と、いう事は・・つまり、原作を読んで満足すればいいじゃないか、という事になる。

映画は、「原作のエッセンスを感じられればいい。byピーター・ジャクソン」という事で納得しよう。

ちなみに、語り手の女中も、太っているらしいのだが、がりがりの骨ごんぼの女性が演じてるのしか観た事がない。

だから、映画より、原作を読むべきだ──。

「嵐が丘」に関しては、マウスキーはそう思うのである。

2017年2月25日土曜日

「ハムレット」 ウィリアム・シェイクスピア・作




シェイクスピアが大好きです、と言っても、大抵の人は驚かないだろう。

読書のきほんのき、それがシェイクスピアだと言っても過言ではない。

初めてハムレットを呼んだのは、中学2年の時だった。

学校を休んで、親戚の忍者で有名な県にレッツゴーとワクワク気分の時に、電車の中で読んだのを覚えている。

ストーリーは、知っている人も多いだろうが、ざっくりと紹介しておく。

主人公のハムレットは、デンマークの王子で、父親が死んだ事でがっくりきている。

そして、父親の死後間もなく、母親が叔父(ハムレットの父親の弟)と再婚する。

これだけでダブルショックで、どんな健全な若者でも鬱になるに違いない。

そんなハムレットの元に、父親の亡霊が現れて、「実は自分は弟に殺されて、王座と妻を奪われた。息子としては、復讐する義務があるんじゃないか」と、言い出したのである。

もはや、トリプルショックなハムレットは、父親の幽霊の言った通り、復讐の鬼と化する。

オフィーリアという大臣の娘と交際中だったが、もう惚れたはれたと言っている場合ではない。

叔父の殺人を暴くためなら、何でもかんでも利用するえげつないハムレット。

正気を失ったフリをして、本音を暴きだそう作戦をするのである。

そして、とうとう迫真の演技に叔父はボロを出してしまい、当事者も巻き添えの人も、あっちもこっちもバタバタっと死んでいく、そんなシェイクスピアの四大悲劇の中の一つだ。

「するべきか、しないべきか、それが問題だ」

もはや、名言中の名言が書かれているのも、この戯曲だ。

ほんと、シェイクスピアは大天才です。

「ハムレット」にはまったマウスキーは、ハムレットの映画も色々と見比べてみたりなんかもした。
手始めに、ローレンス・オリヴィエのハムレットと、ケネス・ブラナーのハムレット。

まぁ、そんな事をしていた時に、恐ろしい事件があったのだが。

参照↓「マウスキーの日記」より、「思い出の『ハムレット』鑑賞会↓
http://mouskydiary.blogspot.jp/2013/07/blog-post_2.html


ちなみに、今まで見た中でもお気に入りになったのが、こちら。

ハムレット役が物凄くピッタリだった。
ゲイリー・オールドマンが好きだからでも、ある。
 
ひたすら、ショスタコーヴィチの音楽が最高です。

ちなみに、トマ作曲のオペラ「ハムレット」は、何かの間違いなんじゃないだろうか、と耳と目を疑うものだと思う。
なんていうか、物凄く斬新な演出だなぁと感じた。脚本が、それ自体。

フランスオペラの、敵同士がみんな仲良し設定が気持ち悪いだけではなく、なんと、衝撃的なラストがお楽しみで残っていたのだ。

それというのも、最後の最後のシーンで、ハムレットの父親であり、先王の幽霊が突然登場。

自分を殺した弟を名指して「あいつがわしを殺した。ハムレットはわしのために復讐したんだ」と、全部種明かしをした挙げ句、「一件落着」みたいに取り仕切って終わるのだ。

なんでそうなるんだよ、トマさん・・・・

ポローニアスすらも途中で応援したくなるほどハムレットが好きなマウスキーとしては、やはり映像も、オペラも、脚本も、シェイクスピアに近いセンスで書かないと、ちょっと凡庸に感じてしまう。

こんなに長々とハムレット愛を語るほど、本当に面白すぎる愛読書の一つである。

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