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2017年3月29日水曜日

「車輪の下で」 ヘルマン・ヘッセ・作




一応、読む事は読み通した本である。

ヘルマン・ヘッセは、詩集を先に読んでいたので、小説も読んでみよう、というノリだった。

ストーリーは、主人公のハンスが、勉強とか、生活とか、自分のしたい事とか、そんな色々なものに頑張って苦労していく話である。

そして、何故だかマウスキーはこの本を手に取った時に、「車輪の下に押しつぶされる話なのだろうか?」と、タイトルのインパクトで思ってしまったのが悪かった。

ページをめくり、ページをめくり、頭をよぎる事といえば、「一体、いつ主人公は車輪の下に下敷きにされるのだろうか?」とか、「車輪の下に主人公が下敷きにされるわけではなく、誰かが車輪の下敷きになるのだろうか?」と、完全に「車輪の下」の呪縛に縛られてしまったのである。

おかげで、色々と大変そうなハンスについてを読みすすめながらも、なかなか集中出来ないでいた。

そして、読み終わった時に気が付いた。

誰も車輪の下に潰されるわけではないと──。

ヘルマン・ヘッセは詩人だし、直接的に車輪に潰される話で、「車輪の下に」なんてタイトルをつけるわけがない。

しかし、読み手側の気持ちは、確かに車輪に押しつぶされたかのような、重たくてたまらない気持ちにさせられたのは確かだ。

きっと、マウスキーはドイツ文学と相性が悪いのかもしれない。

とにかく、感想にしたらそれに尽きてしまう。

しかし、分からないが故に、まだまだドイツ文学へチャレンジしようと、今後も頑張るきっかけとはなった。

2017年3月13日月曜日

「若きウェルテルの悩み」 ゲーテ・作




物語のあらすじは、ウェルテルがロッテという人を好きになるのだが、生憎ロッテにはアルベルトという婚約者がいて、後々にその相手と結婚もしてしまう。

悩むウェルテルは、恋愛もうまくいかない、人ともうまくいかない、当然仕事もうまくいかない、何もかも思い通りにならない。

挙げ句に近くで情痴事件もあり、知り合いの弁護をするが聞いてももらえない。

何もかも思い通りにいかないウェルテルは、最後に自殺をする。

まぁ、そんな風に、ウェルテルがずっと色んな物事に悩んでいる、そんな話だった。

恋愛の話というわけでもない。

とにかく、生活の随所でウェルテルの悩みが絶えないのだ。

そんな印象だった。

深読みは出来なかったが、ロッテがアルベルトを選んだのは、正解なんじゃないか、という感じだった。

ウェルテルが遺書にロッテの名前を書き記すというところなどは、読んでいて、「やっぱりな。こういうやつは無駄に自尊心が高いんだ」と、怒りを感じる所すらあった。

自分は可哀想な感じで死ぬが、残されたロッテはどうだろう?

遺書が他人の目に読まれた時、ロッテはどんな風に思われるだろう?

思いやりが欠片もない男、それがウェルテルである。

自分の悩みでいっぱい、いっぱいなのだ。

だが、それも、若さゆえだろう。

つまり、ロッテも、アルベルトも青春を越えて大人になったのだ。

しかし、ウェルテルは青春のまま生きていた。

その温度差による悲劇だ──。

ウェルテルを見ていれば、きっとみんな大人になり、自分の悩みを克服できるであろう。

ちなみに、再読はしないが、オペラは聴いた。

オペラの「ウェルテル」は割りと好きです。

2017年3月6日月曜日

「変身」 フランツ・カフカ・作



ストーリーのあらすじは、主人公が、ある朝目が覚めたら虫になっていた、という衝撃的なところから始まる。

そして、何の疑問も抱かない主人公の家族は、虫になってしまったのだと、ショックを受ける。

どうやら、大きくて、ムカデみたいな危険な虫になったみたいなので、部屋から出ないように監禁して、食事を運んだりなどの世話をするのだ。

その内、主人公も虫として、段々順応しはじめていくのだが、一度部屋からフラリと出てしまったがために、家族の怒りを買ってしまう。

そもそも、人間が虫に変身するだろうか、と、家族は言い出すのだ。

読んでいて、まず驚くのが、ここだ。

それは最初に抱く疑問だろ?

寧ろ、今まで主人公が変身したものだと信じて、嫌がりながらも世話してた方が相当変態ではないのだろうか?

だが、主人公の家族は、虫になった主人公を再び部屋に監禁すると、「これはただの虫だ」と、結論づけ、飼育放棄する事にするのだ。

そんな話だった。

短編で、読みやすいので、サクサクッと読めるのだが、読んだ後に胸がモヤモヤする、そんな話だった。

楽しみのために読む本ではないというのは確かである。

ちなみに、読者側としては、主人公の虫なりについての様子を読んでいると、次第に「なんだ、こいつ。可愛い奴め」と、虫に愛着すら感じてくるのだ。

それが、カフカ・マジックなのか──。

そんなマジックを彼が持っているのかは知らないが、おぞましいはずの虫にも関わらず、読者に愛着を感じさせる事が出来るのである。

そして、正当な事を言っているにも関わらず、「そもそも、人が虫になる事はない」と、今更感が半端ない発言で、一生懸命に生活をしている主人公の家族たちを読者の敵にする事が出来るのだ。

あの短編の中で、これほどまで読者の心をたくみに操るとは・・・・。

しかし、だからと言って、好きな作品という事にはならない。

マウスキーは人の悲劇なら読む事は出来るが、無抵抗な生き物が可哀想な目にあう話はとても読んでいられないのである。

そのため、再読もしていないのだが、読み手側に色々な解釈をさせてくれる本なのだろうし、様々な哲学的な思想をする事が出来る、とても素晴らしい小説だと理解はしている。

でも、やっぱり再読はしないだろう。

2016年10月10日月曜日

「ヴェニスに死す」 トーマス・マン・作



「ヴェニスに死す」・・・これは、本当にマウスキーを悩ませた話の一つだ。
この物語と出会ったのは、ルキノ・ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」を観た時からだから、中学2年ぐらいの時だっただろうか・・・。
映画の内容が欠片も分からなかったという、不思議な映画だった。
でも、映像はとても綺麗だったのだけれど・・・なんというか、笑えないんだけど、笑うべきなのか、それとも、何か隠された哲学があるのか・・・本当に色々と考えさせられた。

あらすじは、アッシェンバッハという初老の小説家(映画では作曲家)が、リフレッシュするためにヴェニスに旅行に行く。そのホテル先で出会った美少年タッジオ君に一目惚れしてしまい、毎日ストーキング行為を繰り返し、最後は流行していたコレラにかかって死んでしまう。

そんな感じだ。

わざわざ小説にするようなものがあるのだろうか・・・・。

本気でマウスキーには分からなかった。

でも、分からないというのがどうしても癪なので、原作を読めばきっと理解できるはずだと思い立った。

そこで原作を読んだのだが、正直、今でも理解及ばない。

トーマス・マンがアッシェンバッハと似たような経験があって、彼の奥さんに「恥ずかしいから本気でやめて欲しい」と思われていたという逸話を知っても、特に何といって理解できないのだ。

ただ、原作を読んだ事で、映画のシーンを理解する事が出来たのは確かである。

まぁ、様々な考察をすると、人生全てに対して嫌になっていたアッシェンバッハが、美少年観察する事を唯一の心のオアシスとして、もう死んでもいいと思って死んでしまったという、老後に対しての虚しさや、老い朽ちるという儚さなど、そういうものが込められていたのだろうか・・・

ごめんなさい。

本気で分からないんです。

だから、「魔の山」も結局読む勇気がなくて、読んでません。はい。

けれど、それが故にこの一冊はマウスキーにとっての貴重な本となっている。
物凄く頑張ったのに、結局よく分からなかった本という残念さによって。

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