名作中の名作である。
今はどうかは知らないが、マウスキーが子供の頃は小学校の国語の教科書に載っていた。
その時、「人を感動させる」事についての深さを勉強する事が出来た。
つまり、人の感情を強く突き動かす事を、感動というのだと、子供のマウスキーは知った。
あらすじは、ざっくりとこんな感じである。
主人公の平十という男が、病気で死にかかっている親のために、ウナギを用意して、食べさせてあげようとしている。
そこへ、ごんぎつねがやって来て、うなぎで遊ぶか、盗ろうとしてか、とにかく台無しにしてしまうのだ。
結局、平十の親は死んでしまう。
それを知った、ごんつねは、自分のしでかしてしまった事に気づき、深く反省する。
それから、毎日のように、お詫びとして平十の家に、こそっとプレゼントを持っていくのだ。
だが、正体を明かす事はしなかったので、平十は誰が持ってきてくれているのか、さっぱり見当もつかない。
そんなある日、ごんぎつねがプレゼントを持ってきたところを、とうとう平十に見つかり、ウナギ泥棒の狐だと知った平十が、その場でごんぎつねを射殺してしまうのだ。
そして、殺した後に贈り物に気づき、「お前だったのか・・」と、ショックを受ける。
おしまい。
そんな感じの話である。
子供のマウスキーは、教科書を床に叩きつけるほど怒り心頭し、一番嫌いな物語の一つとしてカウントした。
その後の平十の罪悪感や、寂しい暮らしなんかが予測されても、それはどうでもいいし、狐殺しを平十の罪の美談のように語られたら、たまったものではない。
そんなわけで、本を読み終わり、何故わざわざこんな腸が煮えくり返る思いをしなければならないのか、と考察したわけだ。
そこで、気づいたのだ。
「感動」という言葉について。
激しい怒りも、感情を強く突き動かされた結果であり、「ごんぎつね」には、それだけの力があるのだと。
生ぬるい、みんなで仲良く話なんかよりも、子供が読んだら心が育つ話だったのだと今は感じる。
そんな名作「ごんぎつね」だが、大人になった今でも、好んで再び読みたいとは思わない。
それは、今も腹を立てる事が予測されるからである。
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