2017年2月28日火曜日
「指輪物語<1>旅の仲間 上1」 J・R・R・トールキン・作
その通りだ!
映画を観てから、原作を読もうと書店に走ったミーハーな一人である。
しかし、今回は何故読んでいる巻数指定でいっているのか、というのは、これから説明しよう。
する必要があるのか?・・・と、思う、ざっくりあらすじ説明がこちら。
ホビット族という小柄の種族のフロドという青年が、悪の化身サウロンが創り出した世界征服出来るパワーを持つ「指輪」を破壊しに、色んな種族の仲間と共に敵陣に乗り込む──と、いう感じだ。
神話を書こうとした、というだけあり、とても象徴的かつ壮大な物語である。
原作も読もうとはしたのだが、マウスキーはこの一巻のみで挫折したのだ。
それは、本が面白くなかったからでも、マウスキーの集中力を欠くからでも、何でもない。
集中して読めない何かが、そこにあったからだ。
ストーリーを読み進めていくと、主人公フロドがホビット族の仲間と共に酒場に入るシーンがある。
映画を観ていたマウスキーは、読みながら、「よしよし、そろそろアラゴルンの出番だぞ」と、読んでいた。
アラゴルンというキャラクターは、人間の王様なのだが、王座に就かずに放浪の旅をしてており、人間とは思えないほどメチャクチャ強いのだ。
映画では、こんなシーンで語られ、登場する。
フロド「さっきから自分を見てる人がいるんですけど、あれは誰ですか?」
宿屋の主人「あいつは、ストライダーって呼ばれてるんです」
このかっこいいシーンは忘れられませんね!
楽しみになって読んでいると、早速そのシーンに突入。
フロド「さっきから自分を見てる人がいるんですけど、あれは誰ですか?」
宿屋の主人「あいつは、馳夫(はせお)って呼ばれてるんです」
はせお・・・はせおだと?
その場で本を閉じ、マウスキーは深呼吸をして瞑想した。
いや、どう考えても無理だ。
アラゴルンが出てくるたびに、フロドが彼を呼ぶたびに、こう呼ばれるのだ。
「馳夫(はせお)!!」
やっぱり無理だ。
そんなかっこ悪すぎるアラゴルンは認めない。
涙ながらにマウスキーは、読むのを放棄した。
訳って、本当に大事だし、難しいんだな、と、そして痛切に感じた。
他の訳で読もうともしたのだが、残念ながら馳夫バージョンの訳しか存在していないらしい。
どうしても読みたければ、英語で読め、そんな感じである。
そして、我思う──。
馳夫で読むぐらいなら、頑張って英語で読む、と。
2017年2月27日月曜日
「美女と野獣」 ボーモン夫人・作
ディズニーの「美女と野獣」が実写化するので、本を読んだ事を思い出して書く事にした。
色んな版があるらしいのだが、多分、マウスキーが読んだのはボーモン夫人版だと思われる。
話の内容は、父親が娘に薔薇を摘んでお土産にしようとしたところ、運悪く野獣に姿を変えられた男の薔薇だった事が発覚。
その代償として、父親はとびきり美人の娘のベルを野獣の元へ送らなければならなくなる。
そこで、ベルと野獣は段々といい感じになり、恋心も芽生えていくのだが、父親が死にかかっているという事で、ベルは一時帰郷。
で、今度は野獣を死にかかっていたりして、再び城に戻ったりと、行ったり来たり大変な目に遭ったりもする。
でも、最終的には野獣も元の人間の姿に戻って、ハッピーエンド。
短い本だし、ぼーっと読んで、ぼーっと読み終わるかなと思っていたマウスキーは、衝撃の結末に思わず固唾を呑んだ。
父親が死にかかった戻ったという下りまでは、まぁ、普通に読める。
ところが、野獣も死にかかっているとベルの第六感が知らせ、城に戻った後が思わず何度見もしてしまったほど衝撃的だった。
なんと、野獣はキャベツの山に押しつぶされて死にかけていたのである。
いや、ちょっと待て。
死にかけるほど大量のキャベツが、なんでそこにあるんだろう。
野獣が食糧庫を確認に行った際に、キャベツだけが無限にある貯蔵庫のドアを運悪く開けてしまったとか、そういう状況なんだろうか?
もしかすると、キャベツが何かの象徴なのかもしれない。
でも、キャベツだろ?!
まぁ、まぁ、確かに、考えてみれば大量のキャベツが降ってきて、キャベツの山に生き埋めにされたら、普通の人間なら三途の川をいつ渡ってもおかしくない状況だ。
でも、なんでキャベツでなければならないんだ?
お陰で、読み終わったのだが、どうしてもキャベツで死にかけた野獣のシチュエーションが謎でたまらず、腑に落ちないまま現在に至る。
コクトーの映画の「美女と野獣」も観たんだが、これにはキャベツのエピソードはなかった。
分からない事だらけのこの感覚・・・まるで、ヴィスコンティ映画の「ヴェニスに死す」を観た時のような感覚だ。
参照↓“「ヴェニスに死す」トーマス・マン著”↓
マウスキーの感想としては、ディズニーの「美女と野獣」でいい・・・と思ってしまう不思議な物語であった。
ところで、実写映画は観に行く予定はない。
もし、周囲の人の反応がよければ、もしかすると行くかもしれない。
2017年2月26日日曜日
「嵐が丘」 エミリー・ブロンテ・作
あまりにも有名な小説ですが、ざっくりとストーリーを紹介。
内容は、恋愛がこじれに、こじれた愛憎による復讐物語だ。
金はあるが、好きな女は手に入らず、へなちょこの優男に取られてしまったヒースクリフという男がトラブルを起こしていくのだが、肝心要の好きな女が「嘘だろ」と、いうタイミングで途中で死んでしまう。
そのせいで、今度の復讐のターゲットは子供たちになっていくのだが、ヒースクリフも人の子。
悪党結構とは言えど、歳を取っていくにつれ、燃え尽き現象に陥ってしまうのだ・・・。
ざっくり、そんな感じだ。
内容は女中が一人称で殆ど語っているのだが、語り口がとても面白いので、ついつい読んでしまい、長編である事も忘れるほど読みやすかった。
これが、またよく映像化とかいって映画になっているもので、その都度マウスキーは観ていたのだが・・・この「嵐が丘」をきっかけに、小説の映像化に懐疑的になってしまった。
何故かと言うと、それはヒースクリフの役柄だ。
本編には、髭で顔が覆われている熊男みたいに書かれているのに、驚き吃驚だが、映画で髭がそんなに生えているのは見た事がない。
ローレンス・オリヴィエの「嵐が丘」は、髭などいっさいなく、むしろ爽やか青年という感じだったし、他のを観た時も、申し訳なさ程度に口にチョビ髭があったかなという感じだった。
何で、大胆不敵に髭をもっと生やせなかったかな・・・と、いつも残念になるのだ。
ヒースクリフとキャサリン(ヒースクリフの意中の女)のロマンスとか、そんなの別に観たいわけじゃなくて、ヒースクリフのえげつない復讐の手段を観たいのであって、爽やかな姿なんか観たくないのだ。
と、いう事は・・つまり、原作を読んで満足すればいいじゃないか、という事になる。
映画は、「原作のエッセンスを感じられればいい。byピーター・ジャクソン」という事で納得しよう。
ちなみに、語り手の女中も、太っているらしいのだが、がりがりの骨ごんぼの女性が演じてるのしか観た事がない。
だから、映画より、原作を読むべきだ──。
「嵐が丘」に関しては、マウスキーはそう思うのである。
2017年2月25日土曜日
「ハムレット」 ウィリアム・シェイクスピア・作
シェイクスピアが大好きです、と言っても、大抵の人は驚かないだろう。
読書のきほんのき、それがシェイクスピアだと言っても過言ではない。
初めてハムレットを呼んだのは、中学2年の時だった。
学校を休んで、親戚の忍者で有名な県にレッツゴーとワクワク気分の時に、電車の中で読んだのを覚えている。
ストーリーは、知っている人も多いだろうが、ざっくりと紹介しておく。
主人公のハムレットは、デンマークの王子で、父親が死んだ事でがっくりきている。
そして、父親の死後間もなく、母親が叔父(ハムレットの父親の弟)と再婚する。
これだけでダブルショックで、どんな健全な若者でも鬱になるに違いない。
そんなハムレットの元に、父親の亡霊が現れて、「実は自分は弟に殺されて、王座と妻を奪われた。息子としては、復讐する義務があるんじゃないか」と、言い出したのである。
もはや、トリプルショックなハムレットは、父親の幽霊の言った通り、復讐の鬼と化する。
オフィーリアという大臣の娘と交際中だったが、もう惚れたはれたと言っている場合ではない。
叔父の殺人を暴くためなら、何でもかんでも利用するえげつないハムレット。
正気を失ったフリをして、本音を暴きだそう作戦をするのである。
そして、とうとう迫真の演技に叔父はボロを出してしまい、当事者も巻き添えの人も、あっちもこっちもバタバタっと死んでいく、そんなシェイクスピアの四大悲劇の中の一つだ。
「するべきか、しないべきか、それが問題だ」
もはや、名言中の名言が書かれているのも、この戯曲だ。
ほんと、シェイクスピアは大天才です。
「ハムレット」にはまったマウスキーは、ハムレットの映画も色々と見比べてみたりなんかもした。
手始めに、ローレンス・オリヴィエのハムレットと、ケネス・ブラナーのハムレット。
まぁ、そんな事をしていた時に、恐ろしい事件があったのだが。
参照↓「マウスキーの日記」より、「思い出の『ハムレット』鑑賞会↓
http://mouskydiary.blogspot.jp/2013/07/blog-post_2.html
ちなみに、今まで見た中でもお気に入りになったのが、こちら。
ひたすら、ショスタコーヴィチの音楽が最高です。 |
ちなみに、トマ作曲のオペラ「ハムレット」は、何かの間違いなんじゃないだろうか、と耳と目を疑うものだと思う。
なんていうか、物凄く斬新な演出だなぁと感じた。脚本が、それ自体。
フランスオペラの、敵同士がみんな仲良し設定が気持ち悪いだけではなく、なんと、衝撃的なラストがお楽しみで残っていたのだ。
それというのも、最後の最後のシーンで、ハムレットの父親であり、先王の幽霊が突然登場。
自分を殺した弟を名指して「あいつがわしを殺した。ハムレットはわしのために復讐したんだ」と、全部種明かしをした挙げ句、「一件落着」みたいに取り仕切って終わるのだ。
なんでそうなるんだよ、トマさん・・・・
ポローニアスすらも途中で応援したくなるほどハムレットが好きなマウスキーとしては、やはり映像も、オペラも、脚本も、シェイクスピアに近いセンスで書かないと、ちょっと凡庸に感じてしまう。
こんなに長々とハムレット愛を語るほど、本当に面白すぎる愛読書の一つである。
2017年2月24日金曜日
「坊ちゃん」 夏目 漱石・作
「河童が覗いたニッポン」と、同時期に買ってもらった本である。マウスキーではない、姉が買ってもらった本だ。
マウスキーが読んだのは、小学6年生の頃である。
そんな年の頃だったが、問題ない。
十分に面白かった。
ストーリーは、主人公の坊ちゃんが、田舎の教師で赴任するのだが、竹を割ったような性格の主人公は、ねちねちしたり、ひそひそしたり、暗黙の了解ルールとか、とにかく田舎のルールには従わない。
で、教師で赤いシャツを着た赤シャツという教師と敵対して、ぶつかったりなどもある。
ただ、じめじめ、うじうじ、ねちねち、ぐちぐちといったところが一切ない坊ちゃんの語りはスカッとするし、基本的にあだ名で人を書いているところなども子供が読んでも面白いのではないだろうか?
ちなみに、マウスキーがいまだに印象に残っているシーンは、坊ちゃんが赤シャツに金を借り「お前なんかに借りたくない。返す」とか言ってお金を返すシーンだ。
先方が「返す必要がない」と、言ってお金を返してきたため、「はい、そうですか」と、お金をポケットにしまう事が出来なくなってしまい、日本男児のプライドにかけて、小銭を絶対に相手が受け取るまで、放置しておくとするシーンだ。
特に名シーンだったんじゃないか、と感じてしまい、他のシーンがうろ覚えというぐらいである。
ちなみに、二宮和也の演じている坊ちゃんが映像化していたのを、これを書きながら知った。
小説の映像化に関しては、あまり期待しないが、この小銭のやり取りのシーンが完成度が高いのであれば、是非観てみたいと思う。
もちろん、機会があれば。
2017年2月23日木曜日
「フォーチュン・クエスト4」 深沢 美潮・作
何かの冗談なのか、と思われるかもしれないが、これは小学生のマウスキーが読んでいた本の一冊だ。
何冊か家にあったのだが、記憶に残っているのは、四巻だけ。
ストーリーは、うろ覚えなのだが、全然戦いに成り立たないんじゃないかと思われるパーティが冒険しているという話だった。
どんなパーティだったかと言うと、弱くてビビりの勇者と、盗賊と・・・なんか小さい人と、可愛い動物と、語り手の女の子だ。確か。
で、うさん臭い商人から買った宝の地図か何かを手に取り、みんなで幽霊屋敷のダンジョンへ挑む、みたいな感じだった。
なかなか子供心に「こいつは恐いな・・」と思う要素があったと思う。
オルゴールが鳴りだすシーンでは、段々とオルゴールが早く鳴り始めるという描写があり、子供心にここに感心したものである。
常識だと認識しているものの真逆の事が起こった時、それはホラーとなりうるのかという事も学んだ。
今は読めるか分からないほど子供っぽい文章かもしれないが、子供の時はこれを何度も再読するほど気に入っていたのだ。
子供のマウスキーにとっては、これほど面白い本はない(特に四巻)と思っていた一冊である。
Amazonで調べてみたら、どうやら「フォーチュン・クエストⅡ」とか、「新フォーチュン・クエスト」とか、懐かしアニメみたいなDVDなんかも検索に引っかかり、そんな大仰な事になっていたのかと、改めて驚いてしまった。
本が嫌いだったあの頃、せっせと読んでいた本なので、読書の入門書としても面白く読める本だと思う。
2017年2月22日水曜日
「図解 悪魔学」 草野 巧・著
最初に言っておくが、そんなに恐い本じゃない。
ただ、マウスキーは雑学好きなのである。
本当に悪魔学を知りたいというわけでもなく、図解にしてある悪魔学に興味があったのだ。
この本が素晴らしいところは、内容が参考書のように図で解説してあったり、「〇〇ってことは、〇〇なんだね!」のような、要約したコメントで理解しやすくなっているのである。
悪魔の階級なんかも、ちゃんと分かりやすいイラストと図で書いてあったりして、親切丁寧にざっくりと知識に入れる事が出来るのだ!
これは便利!
しかも、「ここが重要です」という文字は、太文字になっていたりなど、要所要所で覚えやすい。
この本一冊があれば、悪魔学の入門テストは絶対に恐くないんじゃないかと思う。
テストを受けたい人には、おすすめの優秀な「悪魔学」の参考書なのではないか、という印象を受けた。
ちなみに、再読はしなかった──読んで満足した後、結構分厚くて本棚の中でかさばっている事に気が付き・・・と、いうわけで小銭に変化してしまったのだが、ちょっとチラっと読みたくなった時に、手元にない事が悔やまれる。
一時の衝動で馬鹿な事をしてしまったと後悔している今、電子書籍にならないだろうか・・・と、希望を持っている今日である。
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